Isehara Rotary Club DISTRICT2780

伊勢原ロータリークラブについて

卓話

[2442回 例会]市川 正孝君

本日は卓話として自己紹介をさせていただきます。私は2013年の1月に伊勢原ロータリークラブに入会させていただきましたので、すでに3年過ぎていますので今さらという感じもあります。今まで2回の卓話をさせていただきましたが、1回目は風疹の流行が問題になっているときで、小児科医としてはこのことを話さなければという思いに駆られました。2回目はちょうど錦織圭君が全米オープン準優勝した後だったので趣味のテニスの話をしてしまいました。それで今回は遅まきながら自己紹介をさせていただきます。

 私は昭和33年(1958年)3月21日、(旧)静岡市生まれです。戌年の牡羊座で、血液型はB型です。父は横浜市立大学出身の産婦人科医で、生後しばらくは横浜に住んでいましたが、幼稚園の頃からは(旧)静岡市で育ちました。中学からは市内にできたばかりの中高一貫の男子校の静岡聖光学院に2期生として入学しました。静岡聖光学院は横浜にある聖光学院の姉妹校(中学・高校では唯一)で、日本平のある山の中腹にある学校です。ちなみに高校野球などで有名な福島の聖光学院は名前は同じですが関係はありません。

 1年浪人後の昭和52年(1977年)に日本大学医学部に入学しました。大学時代は硬式テニス部と音楽バンドのサークルに入っていました。硬式テニス部の同級生には、4年前に天皇陛下の心臓手術を執刀した天野篤君(現順天堂大学心臓血管外科教授)がいました。硬式テニス部では6年生で出場した夏の東日本医科学生総合体育大会で3位となり銅メダルを獲得しましたが、6年時の大会出場は1学年下の幹部学年から依頼があったら出場する習わしでした。この年は私と天野君の2人が出場を依頼されたのですが、天野君は「夏休みは病院実習に行くから大会なんか出られないよ」と言い参加しませんでした。それで私だけが出場し銅メダルが取れていい思い出になりましたが、今から考えるとその時の少しの差が30年たったら大きな差になったのかと思っています。

 昭和58年(1983年)に順調に6年間で大学を卒業し、医師国家試験も合格し、日本大学板橋病院小児科に入局し小児科医として働き始めました。日大板橋病院では同じ年に他病院から移ってきて新生児集中治療室(NICU)に勤務していた現在の妻との出会いがあり、昭和61年(1986年)6月に結婚しています。

入局1年後に大学からの出向で埼玉県の春日部市立病院に1年間勤務しました。そこで初めての学会発表(小児科埼玉地方会での症例報告)で「ポリオ生ワクチン接種後のポリオ様まひの1例」という発表をしました。これはおそらくはポリオの生ワクチによりポリオを発症してしまうという非常にまれですが起こりうる副反応だったと思われました。日本では50年位前からのワクチン接種によりポリオの患者さんはほとんどいませんので、近年はポリオを診療したことのある小児科医はほとんどいないわけですが、このような経験をした後にポリオの撲滅に協力しているロータリークラブに入会できたことは何かの縁を感じました。

 その後大学病院に戻り、小児科内での専門を決めるときに、アメリカのUCLAに留学し骨髄移植などの勉強をして帰国した、のちに日大の教授になる麦島秀雄先生が骨髄移植を始めることとなり、その先進的な治療でそれまでなかなか治らなかった病気が完治できるようになる魅力にひかれ、小児の血液と腫瘍疾患(白血病や小児がんなど)の診療を専門としました。その中でも最も先進的な治療として、小児がんの中でも最も治りにくい病気の一つである進行神経芽細胞腫に対する自家骨髄移植に際し、骨髄に混入している恐れのある腫瘍細胞を鉄を含んだビーズを付けた腫瘍に対する抗体で捕まえて、強力な磁石を用いて除去するという治療を行っていました。

 平成2年(1990年)に実家の事情などがあり大学を離れる形で静岡県立こども病院血液腫瘍科に勤務することになりました。静岡に移った後にちょうど無菌室を整備することになり静岡こども病院でも本格的に骨髄移植に取り組むことになりました。前述の進行神経芽細胞種に対する自家骨髄移植も行いましたが、静岡で採取した骨髄を新幹線に乗って東京の大学まで持っていき、腫瘍細胞を除去した後に大学で凍結保存してもらい、骨髄移植の当日に東京から静岡に凍結したまま送ってもらい、静岡で溶解して移植を行ということをしていました。

また当時、家族以外の非血縁者からの骨髄移植のために名古屋を中心として東海骨髄バンクが始まっていましたが、静岡も東海地区の一部ということで協力していたこともあり、私が担当していた進行悪性リンパ腫の再発した男の子に対して非血縁者間骨髄移植を行い移植は成功して退院することができました。この移植が静岡県内では初めての非血縁者間骨髄移植ということで静岡新聞に取り上げられました。この記事が静岡県骨髄バンク連絡協議会(という名前だったと思います)を立ち上げるきっかけになったと聞きました。また個人としても新聞に取り上げられ、その反響にも少し驚きました。

 その後いろいろ事情があり平成5年(1993年)より埼玉県立小児医療センター血液腫瘍科に勤務し、平成9年(1997年)4月に東海大学小児科へ移ることになり伊勢原での生活が始まりました。平成12年(2000年)からは大学からの出向で伊勢原協同病院小児科勤務になりました。協同病院に勤務してからはインフルエンザなどの感染症の臨床研究を行うようになりました。そして10年前の平成18年(2006年)2月に伊勢原市内東大竹、大磯街道沿いに、市川こどもクリニックを開業しました。インフルエンザなどの臨床研究は開業後の現在も続けています。  伊勢原に移ってからのことで当日話し忘れていたことがありますが、まず私には息子が2人いて、小学校時代に少年野球をすることになったのですが、次男の同級生に松下さんの長男が学年のエースとしていました。それが松下さんとの出会いでした。実はその頃息子たちは2人とも不登校で、平日は学校に行かず休日の少年野球では学校に行くという変な行動をしていたのですが、少年野球の子供たちも保護者の方たちもそのことについては温かく見守っていただきました。そのことでまた登校を再開できるようになったと思っていて、とても感謝しています。

 それから協同病院に勤務していた時に開業を考え出したのですが、やはり開業場所などが決まるまでには時間がかかりました。この開業に全面的に協力していただいたのが飯田隆三さんの会社でした。当日にお礼を申し上げようと思っていたのですが、うっかりして失念してしまいました。この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。

 最後に私の特技?を紹介させていただきます。それは安い服を着ていても安く見られないことが多いことです。ただその裏返しで高い服を着ていても高く見えないということもあり、それに気づいてからは高い服を買う意欲がなくなりました。まあどうでもいいことですが、私の服についてはあまり詮索しないでください。つたない卓話でしたがご清聴ありがとうございました。

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ACCESS

伊勢原ロータリークラブ例会会場 和膳 照國
〒259-1133 神奈川県伊勢原市東大竹937-1/TEL:0463-92-1919

http://wazen-terukuni.com/

●小田急線伊勢原駅南口より平塚方面へバスで5分、馬渡停下車。
●伊勢原街道(61号線)沿い。
●伊勢原駅から1,326m
●送迎バス有り