伊勢原ロータリークラブについて
卓話
[2492回 例会]吉川 昌男氏
「日本酒の製造」をやっております。創業は大正元年ですのでちょうど105年となります。
私が社長をさせてもらっている期間にも栄枯盛衰がございまして、今、日本酒は大変な時期を迎えております。
最近は日本酒人気が復活か?などとも言われておりますが、結局、輸出を行っている会社の業績がいいわけです。一方で国内販売は完全に落ち込んでおります。私の会社は国内販売専門ですのでなかなか大変な状況になっております。
さて本日は伊勢原ロータリークラブの創立記念日に近い例会ということで、創立当時のお話をしたいと思います。私が入会した頃は伊勢原RCはまだなくて、秦野RCに入会いたしました。1965年、昭和40年の7月ちょうど今から52年前のことです。
つまり私は52年間RCに入っているということになる訳です。入ったときの私の年齢は33歳。当時の秦野のメンバーの中で一番私が若かったことになります。当時の秦野RCは38名、うち明治生まれの方が16名、大正生まれ18名、私を含めた昭和一桁生まれが4名でした。
入会のきっかけは「茶加藤」の加藤さんのおじいさんにあたる加藤そうべいさん、代々そう名乗るそうなのですが、本名はじゅんぞうさんに、会うたびに「入会しないか」と誘われたのがきっかけです。その加藤さんは1961年、昭和36年秦野の創立会員でした。
当初7名の設立会員のうち、一人だけ加藤さんが伊勢原から入会したそうです。加藤さんは後にガバナーをやられるわけですが、当初は誘われるものの、興味もなく、入会する気もございませんでした。
昭和40年7月7日、加藤さん、浜田さん、医師であった飯塚先生、薬局をしていた鳥居さんの4名の方が家に来て誘うものですから、そこで観念して入会いたしました。
当時は一業一会員ということでしたが、いろいろあって日本酒の酒蔵が何軒かあったのですが、結果的に私にお鉢が回ってきたという感じでした。
そのときに私と一緒に入会された方が4名おります。精麦業の米山さん、呉服商のこしみずさん、金物や建材を扱う山田さん、文具や書籍のきよのさん、私も入れて5名が伊勢原から入会いたしました。
秦野に入って初めて例会に出席したのが昭和40年7月20日。当時秦野の例会は火曜日でした。加藤さんからスマイルを千円入れるんだよと言われ、意味もわからずやっていたのを覚えています。
2回目の例会はすぐにあったのですが、早速欠席することになりました。当時入っていた青年会議所の仲間とゴルフコンペがあったというわけです。そうなるとすぐにメイクアップに行けということで、平塚RCに行くことになりました。いい思い出です。
青少年委員長をやったときは、当時はボーイスカウトを一生懸命やっていて、ボーイスカウト5周年のとき、団員長もやりました。まあ当時の思い出話が長くなりましたが、時間になりました。
みなさま、ご清聴ありがとうございました。
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