伊勢原ロータリークラブについて
卓話
[2601回 例会]吉川 昌男氏
今日は例年のことですが、創立記念日の月と言うことで、創立当時のお話をさせていただきます。一昨年の5月10日の例会で、秦野RCへ入会してから伊勢原RC創立までの話をさせて頂きました。毎年濱田 PGと私がこの時期の当番ですが、昨年はこの時期に体調不良で救急搬送され1週間入院をしてしまったので、お話することができませんでした。今日は私が15代会長だった時の話をさせて頂きます。今から35年前の話です。当時の会員数は57名でした。現在は濱田PG、私、佐伯会員、西部会員の4名が在籍しておりますが、あとの53名はお辞めになりました。
会長にとって一番大事なのは女房役である幹事です。幹事と二人三脚でやっていかなければなりません。その時は現会員の渡邊健樹さんのお父さんの渡邊健司さんに幹事をお願いしました。非常に堅実で真面目な方でしたのでお陰様で無事に会長を勤めることができました。今でも渡邊さんには感謝しております。
ロータリーの事業の柱は色々ございました。交換留学生や道灌祭りのバザーの協賛等ありましたが、特に財団と米山はロータリーの事業の大きな柱です。これはロータリーの会員として、義務ということがありますが、結局財団委員長をどなたにお願いするかと言うことになります。私が会長時の財団委員長は萩原庸嘉さんのお父さんの萩原秀信さんにお願いしました。
財団と言うと為替レートの問題がどうしても絡んで来ます。USドル建てですので、円では変動があります。当時のレートは1ドル240円でした。ポール・ハリス・フェローの寄付をするには24万円必要でした。当時はフェローの方は57名中23名、準フェローが19名でした。次の年度の最初にはフェローが26名、準フェローが17名でしたので、私の年度でフェローを3名増やし、準フェローを2名減らしたことになります。準フェローからフェローになった人が2名でしたので、実質1名増と言うことです。今でもそうだと思いますが、数字が付いてくるので、フェローを増やすのは大変だと思います。私が秦野RCに入った当時は為替レートは1ドル360円でした。その時に湯河原RCがホストで行われたIGF(Intercity General Forum今で言うIM)で、財団分野の発表がありました。その中で印象に残っている言葉があります。
「たとえ1000ドルお出しになる方にしても、36万円をポンと出すのはよほど財団に理解がなければできないことと思います」と言う出だしで2ページにも渡るお話でした。当時1000ドルと言うのは重みがあったと思います。当時の年会費はだいたい10万円でした。私が幹事をした時は14万円、会長をした時は19万円でした。現在は27万円です。これから比べても、当時の財団の寄付はかなり大変だったと思います。今後も皆さんのご理解をいただいて、財団への寄付をお願いできればと思います。新しい会員の方は財団と言ってもピンとこない方もいらっしゃると思いますので、財団について勉強して頂き、できるだけ理解を深めて頂ければ、より成績も上がると思います。
次に米山ですが、米山は円建てなので、変動もありませんので解りやすいと思います。米山功労者は10万円です。私が幹事だった頃は米山奨学資金委員会と言うのはありませんでした。ですから、その時のクラブ計画書を見ますと予算の中に5万円が計上されているだけで、委員会報告等も何も出ていません。当時のガバナーが米山について何もないことに気付き、米山として新たに作るか国際奉仕委員会の一部としてもいいとのことでしたので、委員会として作ることになりました。私が会長の時の分担金は178,500円計上し、その年度で功労者と準功労者を3名づつ増やしました。
前年度(佐伯会長)の6月に国際ロータリートロント大会がありました。そこに配偶者同伴で参加しないかとのお誘いを受け、濱田PG、加藤さん、須藤さん、岩崎さんと私で参加しました。6月6日~12日まで市内および各地観光含め、大会に参加しました。初めての国際大会で、諸外国の方々が大勢参加されていて、非常に勉強になりました。
過去の卓話をみる